湯浅誠の「貧困論」
2016年 09月 01日
久々に大馬鹿の記事を読んで苦笑いしました。
昨今のニュース等を見ると、明らかに「貧困自慢」をしている代物が沢山あります。
先日あった「NHKの貧困少女?」をネタに今般、湯浅のバカが評論を書いてました。
其処に、おやくそくの様に沢山の腐れコメントがあり・・・見て改めて思った事が。
文化的生活を人並みに過ごせない事が「貧困」と呼ばれるんだろうな・・・と。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20160831-00061633/
仕事の関係で、農家の経営相談を行い「酪農ってこれしか金にならないの」と驚いた事が。
年間売上500万円のケースで「手取り300万円」しかも、家族5人で暮らして居たんです。
田舎町の中心街から30分、隣の家までさえ「車で5分」食料のほとんどが自給自足でした。
他人の目も気にならない「文化的生活とは全く無縁の家庭」貧困を感じない訳です。
ところが残念な事に、この家族に「我が家は貧困だった」と言う意識を植え付ける出来事が。
福島第一原発の事故が起き、原発避難民となったこの家庭は「隣の芝生の蒼さ」を見る事に。
仕事が馬鹿馬鹿しくなったのではなく「仕事をする事がバカらしくなった」と言う変貌ぶり。
他人の貧困を刷り込み「働かなくともお金が貰えるようにするとこうなる」って話です。
以前あった「これからの酪農は?」は消え去り「もっと貰えない?」の相談に変わりました。
当初は同情もあり「戻る為の準備資金なら」と真剣に承ってましたが、徐々にエスカレート。
余りにも人が変わってしまったので手を引いたんですが「戻らずに家を買った」の話を後に。
こんな話は・・・絶対にテレビやネットじゃ特集しねぇんですよね。
だから「文化的生活に追いつけない=貧困」って馬鹿な発想になるんです。
俺もないけど 心配すんな
見ろよ青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろう~
青い空を見る事も無い世の中ですからね。