「ある意味「人災」かも知れないなぁ」
今年起った、数々の集中豪雨被害を見て思ったのです。
写真は昭和43年に起こった京都での集中豪雨時の光景。
初めて起きた異常事態の様な報道が為されてましたっけ。
だから「滅多と起きない」とタカを括ったのが要因かと。
「農作物に甚大なる被害があった」
言い方は変ですが「豪雨が起きれば・必ず聞こえる話」があります。しかし「一般住宅密集地まで被害が及ぶ事」は、ほぼありませんね?理由は簡単で「棲み分けをした土地利用が為されているから」かと。
それは「水の流れを道理に適った管理しているから」
渇水が起きた場合「優先的に農地へ水を供給する」昔からの敷設法。水溜りを作る訳ですから、大雨が降れば「逃水の場所」になります。集中豪雨が起きても住宅被害が無い街がある理由は其処でしょうね?
「自然の摂理に従わない街づくり」
3年前に起きた鬼怒川氾濫被害は、御存知の通り「ある意味の人災」太陽光設置で防波堤が脆くなり崩壊したのが最大要因でしたっけネ。更に、田園地帯へ住宅を作ったと思われる浸水光景でもありました。
福島県ではそれに学び「逃水の場所」を沢山作りました。
大雨が降ると必ず水浸しになる郡山駅前に、大きな地下空洞を設置。首都圏で逃水対策の為に造った地下構造物に学んだものであります。不自然な街づくりをした場合「無駄が無駄にならない」というコト。
3億円の構造物で「10億円の被害が防止出来る可能性」
民主党政権時代、経済音痴どもが妙な行政改革を行いましたっけ。防災対策に対し被害額の想定をせずに「妙な社会保障」ばかりを。その結果は「皆様ご存知の通り」・・・言うまでもありませんね?
首都・東京が何故集中豪雨で浸水しないのか?
以前、豊洲市場問題で「地下水が云々」の騒ぎがありましたっけ。これもまた「逃水対策であった事」を思い出せば良いんですよね?首都機能を守る為に「不自然な街の邂逅」を行っているんですヨ。
自然現象が「不自然現象」となった昨今、改めて考えるべき事。それは「元々どんな街だったか」を振り返る対策ではないかと。不自然に自然を壊して来たんですから「天災」では無いんです。